ずぼらご飯の雑記帳

ずぼらご飯(zuboragohan)がお送りする、気になる〝イロイロ〟の〝あれこれ〟

裁量労働制、三菱電機過労自殺について想う。

三菱電機で5人が労災認定され、精神障害や脳疾患を発症していたそうだ。

そして、そのうち2人が自殺した………。

 

彼らのうち、3人が裁量労働制だったそうだ。

 

裁量労働制が適用された1人、若手のため裁量労働制が適用されていなかった1人が亡くなった。

月80時間前後、100時間超だったという。

 

このニュースを見て、悲しく思った。

 

裁量労働制ってこういう働き方ではないはずだ。

 

8時間労働のうち、7時間で働ける人は、8時間分の給料を貰える。

そういうポジティブな制度であって欲しいと思っていた。

普通の人が8時間かかる仕事を出来ない人は、9時間働かなくてはいけないという制度でもあるけれど。

 

企業にも、社員にもメリットがある。

そういう制度であって欲しいと思っていた

 

今回の事件は、その悪い側面が出てしまったのではないかと思う。

 

労災認定された5人は、システムエンジニアか研究職だったそうだが、どちらも裁量労働制に向いているのだろうか………?

 

うまく行く時は、早く帰れるかもしれないけれど、物事そううまくいかない。

どちらも不測の事態が常に起こる仕事である。

 

"普通の人が"働くと〇時間で終わる、なんて予測がたてられるのか?

その予想があっていると、誰が保証してくれるのか………。

 

 

裁量労働制なら、企業は"普通の人が"働いて終わる時間以上の賃金を支払う必要はない。

超過時間の賃金を支払う必要はないなら、企業側はいくら残業してもらってもかまわないのだ。

この時損をしているのは、社員なのだ。

 

 

 

"企業"は、人間ではないけれど、冷たさを感じた。

無機質で、会社の歯車と見ているかのような。

交代のきく労働力と見ている、酷くひどく冷たい目だ。

 

もっとも、それは企業としては正しい視点なのかもしれない。

 

でも。そうあって欲しくない。そう思うのは、私も使われる身であるが故なのか。

 

 

残業80時間、残業100時間超過。
誰も異常だと思っていない。変えようと思っていない。

 

労働は、何のためにあるのか。

働く為に、私たちは生きているのか。

 

 

この過労死は、裁量労働制ではなくても起こったことだと思う。

裁量労働制が過労死へと進める負の気爆剤となっている可能性もあると思うが、問題はそこではない。

 

残業時間が明らかに多いというコト、それが問題ではないだろうか。

裁量労働制が無くなったからと言って、長期残業は減るのだろうか?

 

私は、NOだと思う。

 

 

三菱電機は、裁量労働制を廃止するそうだ。

そして、40時間までは定額の残業代を支払い、その後は超過時間に応じて残業代を上乗せする制度に切り替えるそうだ。

 

でも、そもそも残業時間40時間である。

残業時間を少なくする方法へ切り替えるでは、駄目なんだろうか?

これは、理想論何だろうか?

 

 

 

どうして死ぬ必要があったのか?

過労死は、お金で解決できる問題ではない。

誰かの、かけがえのない存在だった誰かが、この世界からいなくなってしまったのだ。

 

その苦しみを想うと、涙が出る。

その悲しみは、お金なんかで癒されない。

 

あぁ……どうか、死なないで。

出来ることなら、会社から逃げて欲しい。

過労死させるような会社が、全面的に悪いんだから。

 

社会の礎なんかにならないで欲しい。

誰かが、過労死しないと変わらない制度なんて悲しい。

 

過労死なんて、なんて悲しい亡くなり方だろうか。

 

そんな、悲しみは一日も早くこの世界からなくなって欲しい。

 

私達は、何のために働いているのか。

 

過労死のニュースを見るたびに、その言葉が頭をよぎる。

 

そして、この問題は氷山の一角に過ぎない。

過労死だけではない。

過労死の前段階、つまり、過労状態を要因としての疾病を発症する段階、精神疾患を発症する段階があるのだ。

 

そのことを私たちは、深く深く心に刻まなくてはならないと思う。

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