ずぼらご飯の雑記帳

ずぼらご飯(zuboragohan)がお送りする、気になる〝イロイロ〟の〝あれこれ〟

死ねと言わなくなった日

 

皆がとは言わないけれど、子供の頃普通に死ねって使ってた。
日常会話の中で。
どこでそんな言葉を覚えたかわからないけれど、皆が普通に吐き捨てるように使ってた。


別段、荒れてもいない普通の学校で、だ。
先生の前で使うような単語でもないから先生にも気がつかれない。

密やかに、けれども普通に日常会話で使われる、「死ね」

 

今思えば、ワルい言葉だし、誰かが聞いたら思わず顔を顰める強すぎる言葉だ。

大人になった自分がその場にいたら良くないよって注意すると思う。

でも、誰も注意なんてしなかった。されなかった。

 

死ね、なんて誰が聞いてもいい気分じゃないよね。

でも、幼い頃の自分達は気が付いてなかった。

何で使ってたなんか思い出せない。

 

 

けれど、使うのを止めた日は覚えてる。

 

 

 

長期休みに後輩が死んだのだ。

明るくて、気のいい奴だったことを覚えている。

自殺や苛めではない、と思う。

 

病気でもなかったはずだ。

だから、たぶん、交通事故だったんだと思う。

 

 

長期休みに入って、もう覚えていないけれど、あの頃は毎日のように、何度も会っていたはずだ。
学校で部活動の中で。

思い出せなくなってしまったけれど、長期休みの部活中も、たぶん。

 

 


長期休みが開けた時だった。

突然、全校集会で、亡くなったとだけ伝えられた。


いつものどうでもいい校長先生の挨拶なはずだった。
耳を疑った。
聞いたことのある名前だった。

 


今思うと、死因は教えられることはなかった。
だから、死因は今でも知らない。

 

私達は、葬儀にも呼ばれることはなかった。

もしかすると、私たちにとってに余りにも衝撃的な出来事だから、大人たちは言わなかったのかもしれない。

準備してきた大会が差し迫っていたし、支障が出てしまうといった配慮ももしかするとあったのかの知れない。

 


どうやって、あの後輩が死んだ。
という衝撃から、日常へと戻っていったか覚えていない。

 

ましてや、後輩の同級生たちはもっと衝撃的だったと思う。

彼らは亡くなった後も寄り添うように話題に出していたことを覚えている。

けれど、私と同輩達の中で、亡くなった後輩の話題は自然とタブーとなった。


悲しすぎて、触れられる話題ではなかったから。

 


今まで誰かが死んだことはあった。
友達の親が亡くなるとかそいうやつだ。
けれど、どこか遠い出来事に感じた。

 

 

身近にいた人が死ぬ。

初めての経験だった。
二度としたいとは思わないけれど。
それから、なんでか、死ねって言わなくなった。

 


死ねって言ったって言わなくたって何かが大きく変わるわけじゃないと思う。
けど、死ねって単語を言うことに躊躇して、口ごもるようになり、それから自然と言わなくなった。

 


死ねって言ってた頃は、死なんてちっとも身近じゃなかった。
ニュースで流れる訃報は顔もみたこともない知らない人達だったし、身近なお葬式も見知らぬ大人ばかり。

 

心に残るようで残らない。
かわいそうという気持ちだけだった。

 

 


死を身近に感じたから言わなくなったのかもしれない。

 

親しかった人も、あっさりと死ぬ。

その事実に気が付かされた。

可愛かった後輩の死によって。

 


誰にも死んで欲しくない。

私は、死ねと口に出さなくなった。

 


亡き後輩に哀悼を。

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